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『抜居の清水』 神崎郡神河町上小田 |
2006年9月号に掲載
播但線寺前駅から真西へ。駅前のバス停では次の便が2時間も後とのことで、歩き出す。緩やかな上り坂の旧道に沿った家並みがまばらになって、畑地が増えてきた。間もなく、県道加美山崎線に合流し、市川の支流の小田原川に架かる宮野橋を渡る。創建が延長5年(927)とされる立岩神社前を過ぎると、田園が視野いっぱいに広がってきた。県道は旧小田原村に入り、小田原川に沿って上りとなり、山が近づいてきた。
小田原川は、天正年間(1573〜1592)のころまで、湯川と呼ばれていたらしい。播磨国風土記「神前の郡」に、旧小田原村が「湯川の地」として登場し、「昔、この川に湯が湧いて出た。それで、湯川という」とあった。風土記の奈良時代に「昔」とあるのだから、そのような大変な昔には、ここに湯が湧いていたのだ。ぼんやりと川底を眺めながら歩いていた時、真横を通り過ぎる「上小田」行きバスの後ろ姿に気が付いた。
旧小田原村が分村し、その一つの上小田は、小田原川の源流域で、播磨の屋根ともいわれる暁晴山を中心に広がる峰山高原のすそ野に当たる。上小田の小さな集落である抜居のはずれで「いぼとり地蔵」の小さなお堂が見えた。そのお堂の下から湧き出る清らかな流れが「抜居の清水」であり、この清水を「いぼ」に付けるといぼがとれると言い伝えられている。
帰途、出会った岸本礒さんは「地蔵さんに、先に供えた水をいぼに付けた後、新しい水を供えて、後日、この水をいぼに付けるのです。2度取ることができました」と話していた。
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